3月 6th, 2010
いよいよ、4月入社した新入社員の人たちが現場に出てきた。弊社にも、挨拶がてら(?)
上司に連れられてくる新人の方や、営業経験の初期体験である、アポ無し飛び込みローリング大作戦のような人たちがやってくる。「今年入社ですか?」と、ほとんどの人たちに聞いては、「当たり!」と、心の中でほくそ笑む。
不思議なもので、社会人1年目の人はそれとなく分かる。私だけでなく、多分、殆どの人たちが、同一感覚で、「1年目」だと判ると思う。2年目はどうか?想像して欲しい。1年目と2年目の区別と、2年目と3年目の区別と、どちらが区分しやすいか…。私は、間違いなく、前者であると思う。明確な理由を挙げられない自分の語彙の少なさを恨みながらではあるが、絶対そうだと思う。
何が違うのか…?何故分かるのか?一目瞭然で判別がつくことが悪いというのではない。ベテランが売れないものも、新人の初々しさや、時にはビギナーズラックで売ってくる新人も多い。ただ、会社・社会で日一日とキャリアを積むほどに、新人特有の売れ方は無くなる。代わりに、会社の求める売り方で、きちんと売れる力を身につける。これは、繰り返す作業を覚え、こなすということだから、そこに長く居れば、商品知識や顧客の価値観の創造と購買意欲の相関関係などは、ある程度身について当たり前だといえる。更に言えば、その中で、自然と身に付いてくるのが、社会人としての当たり前さだと思う。
では、前述の持論を展開すると、社会人になる前の生活を、何十年何百年繰り返しても、社会人としての風格や風貌は磨かれないということになるのではないか?誰しも、高校や大学、専門学校や、まして家庭に、社会の縮図を求めては居ないだろうけれども、あまりにも大きなギャップに驚きさえ感じる。ここでいう社会人らしさとは、決して複雑怪奇な、もしくは崇高な知識を指すものではない。実はもっと単純明快で、社会人としての常識に尽きると思う。学生の常識…、社会人の常識…、2者がどこかで交わることは無いのかもしれない。
新入社員(5)へつづく・・・
カテゴリー: 人事・組織・育成・採用
3月 5th, 2010
企業競争は生き残りの戦いだと言われる。まさに、明日の飯の種を蓄積するための、利益競争である。現代、およそ80%の企業が赤字経営だといわれる。会社は赤字、個人は黒字…理解に苦しむが、現実問題、実際は大にしてある現実なのだ。働く人間全員が、会社状況と自分の生活を直結して考えられれば、ほとんどの会社が好転するのではないかと思う。
人間は誰しもビジネスの真っ只中にいる。あらゆるビジネスの混在する中で生きている。
だって、お金を使わない人はいないから。専業主婦がスーパーで野菜を買うのも、八百屋が野菜を売るのも、家を買うのも売るのも、両者ともビジネスとして捉えられるはずである。安く買えば利益になる。安く売れば利益が減る。ややもすると赤字になる。
買い物上手とは、ビジネス上手に置き換えられないか…。結句、私は生きること即ちビジネスであると思う。ただ環境が分かりやすい個人なのか、複雑に見える、もしくは意図的に複雑に見る…の違いだけである。
個別面談のときに寝る人はいない。集団になればいつも寝ている人がいる。要は注意力や、集中力、つまり意識によるものだと思う。
人は自分個人の問題しか考えられない習性がある。だからこそ、周りを見て動ける人だったり、気遣いが出来る人は優秀な人になれる。ということは、会社という集団の中においても、全ての問題を常に自分の問題に置き換えられるレベルの高さを持てば、出世も出来るし会社も伸びる。とは言えないだろうか…?
高度成長の時代、団塊の世代と言われた、日本の最高貢献者…皆、終身で働き抜き、会社を自分の手で伸ばしてきた。便利なものは無い。自分の問題として会社を捉え、努力と苦労を当たり前として、高度成長という時代を築いた。
昔の人は強い。今の人は弱い。自分にとっての未来は、自分の努力だけで切り開いてきた。今は極限まで、もしくは出来るだけ自分の努力を少なく、目的を達成しようとする時代である。自分がやらなくても、誰かが道を切り開いてくれるのを待てば良い。
便利な時代が、当事者意識を持てない時代を作った。会社にとっては、何とも不便な世の中である。
井若 浩
カテゴリー: 人事・組織・育成・採用, 経営相談
3月 4th, 2010
昔から使い古されている言葉の中に「最近の若い者は…」というのがある。このフレーズを聞いたことが無い人はいないのではないかと思えるほどの常用句である。
若い頃私も言われてきた言葉であるし、今尚、歴々の先輩方には言われている。そして私も使う。
今回は、この言葉の意味を私なりに紐解くことで、所謂、若い人を観察してみたい。
世の中は便利になってきた。昔のように苦労や努力をしなくても、出来ることが多くなってきた。昔は、当たり前のように努力や苦労をすることで、一つの結果を導き出すという自然の摂理、ルールがあった。20年前に当たり前だったことが、今は当たり前ではなくなってきた。今、昔のように生きている人はいなくなった。それが当たり前になった。それを人は、効率の追求だとか便利になったと言う。
ただ、便利さを追求する上で、同じく反比例するように不便さも手に入れた。
昔の人は強い。今の人は弱い。ボタン一つで清潔さを手に入れる活気的な洗濯乾燥機が生まれた。昔の人は、自分の手を荒らしながら清潔さを手に入れた。自分にとっての未来は、自分の努力だけで切り開いてきた。今は極限まで、もしくは出来るだけ自分の努力を少なく、目的を達成しようとする時代である。
要は、物事に直面したときに、考えることをしなくなったのである。考えて答えを導き出すことが当たり前の時代から、考えること自体に努力が必要な時代の差である。そこが大きな問題である。
今あらゆる企業において等しく大きな問題は人材である。求めるものは単純で、「自分で考えて自分で行動し自分でやり遂げる」、そんな人材である。その為に、そういう癖のある人材確保に勤める企業と、そういう人材を育成する企業とに分類される。ここで言う癖とは、文化だと思う。
要は、昔は不便さの中に、成長文化を養う基盤が生活の中にあったのである。今は、大人になっていく過程の中で、その力を養えない…だから指示待ち世代だとか、標識世代だとか言われる。
つまり、生きていく上においてもビジネス上においても、自分で考え行動できる、心の育成が出来ていない場合、流れ作業のひとコマでしか使えないということである。だから仕方なく、標準化というおよそ諦めに似た戦略が重要視されるに至った。
「最近の若い者は…」(2)へつづく・・・
カテゴリー: 人事・組織・育成・採用, 経営相談
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