3月 9th, 2010
私自身のサラリーマン時代。入社した会社は、残業は当たり前。これが残業だ!という区別さえなかった。会社が超成長期にあったため、残業などは至極当然のことである!との考え方が蔓延していた…というか文化に近いものがあった。なんなら、休日出勤も当たり前。当然の如く、残業代などは、13年勤務する中で、1円もいただいたことが無い。代休など申請すれば、やることやってから言え!である。 今思えば、やられた!とも思う。が、しかし、まずは、そんな文化を創り、仕事をさせることができた創業者に感服すること、しきりである。 ただ、その当時、例えば友人との待ち合わせもできない。デートの約束など、何度キャンセルしたか分からない。これは大問題だった…。 早く帰れそうな日は、終業時間手前に、決まって馬鹿上司から電話が鳴った。「あれ出来てるか?これ出来てるか?」…、自信を持って言う…、全部出来ているはずが無い!今も大嫌いである。
そんな経験をしている人は、実は非常に多いのではないかと思う。日本の企業文化が応援していることも事実だろうが、それにしても、である。確かに、責任を果たさず、さっさと帰る社員を見れば、正直無性に腹が立つ。例えば、ミスを犯した人間が、そのミスを他人に預けてさっさと帰ってしまう。預かった人間は、残業してでもクリアする。論外である。やめてしまえ!と思う。そういう常識外のことではなく、「責任を果たす=残業」という図式は正直ナンセンスであると思う。決まった時間内で、決められた仕事をこなす。これが正当な労働である思う。私は残業に対して、色々な見方があると思っている。いまこういう順序で文字にしてきたが、その当の本人が、ある側面では、仕事が迫ってたら仕方が無いと思うのも事実であるから。
ただ、今回は、最低の残業だけは回避するべきだという思いは伝えたい。私の考える最低の残業とは…、
1. ご機嫌伺いだけの残業
2. ただただ、帰りにくいだけの残業
3. 遅くまで仕事をする人間が偉いという文化のある会社の残業
今回は、たったの3点。これらは残業ではなく、時間潰しや自己満足以外のなんでもない。経験上、最もストレスの溜まる残業である。
このような、モチベーションを下げてしまう残業文化がある会社が多い。残念ではあるが皆さんもよく理解できると思う。でも、これは改善の余地が十分にあると思う。私の経験から見ても、上記のような会社が、改善に乗り出し、改善に成功し、社員のベクトルを1方向に向かわせ、今尚、躍進している会社はたくさんある。改善の余地は十分にある。もし、ご自分の会社がこのような文化にあるとき、あると悟ったとき、改善が始まるはずである。勿論、多少の衝突は避けて通れないと思うが、まずは、理解してくれる、大きな声を出せる立場の人と議論し、一つの運動からスタートするべきだと思う。ゴールは、スタートした人間にしかやってこないから。
本当に無駄だと思うことが無くなっていけば、今では考えもつかない相乗効果が生まれる。会社も人も、活性化する。でも、この相乗効果を体感できる人は、今の常識を非常識と捉えられる、現状を否定できる人のみに限られる。
会社は成長しなければならない。会社と言う法人を、そこで働く個人が集まり成長させなければならない。会社の成長に役立つと思えることは、社長であっても役員であっても新入社員であっても、やらなければいけない。だってその会社を伸ばすために、その会社に居るんだから。
「当たりまえのことは、良いことか?」…、私自身もストレスの無い環境を作りたいと思います。
井若 浩
カテゴリー: 経営相談
3月 8th, 2010
その残業に意味はあるのか?
今回は、残業について考えたいと思う。
昔から、仕事にはつきものの残業。いつの時代も残業はあり、いつの時代も残業をなくす運動があり、いつの時代も残業の捉え方において議論がなされている。これまでにもまたつい最近においても、残業手当の問題で労使問題にまで発展したケースも少なくない。そう考えると、残業とは永遠に解決されない、もしくは永遠に答えの出ない問題なのかもしれない。
残業にはいくつもの考え方が混在する。サービス残業、機嫌取り残業、責任残業、指定残業、給料残業…、上げればきりが無いほど様々なケースがある。だからこそ、残業=○○のような統一の見解が生まれてこない。そして、残業の考え方には、経営者側と従業員側の二つの側面がある。その二つが、永遠に交わることは無いのかもしれない。如何ともし難い問題ではある。
私は、残業を一口に悪いと言うのではない。誤解のないようにして頂きたいと思う。ただ、残業には、絶対に必要である残業も実際にあるし、しなくてもいい残業もあると思う。必要の無い残業は、その立場に関係なく無駄である。その無駄はなくすべきであると思う。色んな側面を持つこの残業について、あらゆる見地に立って…というのは字数的にも無理であると思うので、私の経験から述べたいと思う。そういう捉え方で読んでいただければと思う。
残業(2)へつづく・・・
カテゴリー: 経営計画・指導・管理
タグ: 新規事業, 経営計画
3月 7th, 2010
今の社会人1年生に、初々しさはともかく、一端の社会人らしさを身につけてもらうためには何が必要なのか?これまで当たり前とされている新人研修が、今の世代に適しているのかどうか?「研修とは」如何に早くレベルの高い仕事をさせられるか?が、目的であると思う。では、どのスキルを自分のものにできれば、成長の一歩を踏み出せるのか?新人研修の目的に焦点を当て、考えてみたい。
ある先生の言葉を借りると、昔の、鉢巻を締めて号令をかけるような上司の下では、今の人は育たない、と言う。今の世代に共通するのは、「他人に干渉されたくない」という考え方が当たり前だと言う。そういう人たちに、熱弁を繰り広げ、勢いと気迫をモットーとする形の研修は、逆に「しらけ」の対象でしかない。勿論、前述の研修がダメだとは思わない。少なくとも、生涯アナログを自認する私個人は大好きな研修手法である。またある場面において、今の若い世代を表現する中に、昔は上司に誘われると何はさておき付いて行き、酒を飲み飲み熱いトークを繰り広げる…そんな光景が当たり前だったのが、今は、上司から誘われたときの断り文句を用意しているらしい。これぞまさしく他人に干渉されたくないと言うことかもしれない。昔から受け継がれてきた、仕事をする上で必要不可欠だと言われてきた、「飲みにケーション」もその姿を変えてきている。またまた個人的には寂しいことだと思う。
さて、話を元に戻すと、他人に干渉されたくない症候群、しかも、実績は無いが、意味の無い自信を持っている彼ら。これまでの学生から社会人への変貌を期待するとき、何を研修の骨子と考えるか…。私自身が研修時に大切にしていることを述べたいと思う。あくまでも、私個人の見解であることを承知してもらいたい。…と思います…。
1. 彼らを、何も知らないと決め付け、頭から絶対に馬鹿にしない
2. 厳しい内容の部分があっても、機嫌はとらない
3. 今からは全く未知の世界の勉強が始まるということの認識
4. 知らないことを知るのだから、劇的に変われる可能性への期待
5. 「分かる」ということは、「変わる」ということの絶対認識
6. 仕事人としてではなく、人間としての魅力を持つことへの興味
7. 常識力の指導
以上、7項目を研修準備として、把握・認識をさせる。その後、具体的な人間としての常識、社内常識、社会常識、企業常識など、場面場面においての常識を頭で理解してもらい、実践していく。勿論、根幹であるモチベーションのアップや持続、向上心の意識アップ、動機付け、一種の楽しさ、ゲーム性なども必要であるが、これは研修担当者のレベルもあれば、手法も様々であるため割愛する。
要は、これまでの常識では通用しないと言うことを、完全に理解させ、新しい常識の引き出し(彼らの得意な勉強に置き換え、新しい方程式を覚えるようなもの)を作っていく作業を先ずは始めなければならない。研修時に邪魔になる陳腐な自信やプライドは、これまでの経験の上に成り立つものであって、これから実践しようとすることは、経験の無い、未知の世界のものだと置き換えさせることによる、スムーズな習得の準備が必要であると思う。そして、絶対必要な目標や夢を持たせることにより、当事者意識を持った内容の濃い研修を実施するべきであると思う。
とはいえ、中堅もベテランも経営陣も、成長に絶対必要なものは、現状を否定する能力とか勇気とか…それなくして成長は無い。繰り返しになるが、「成長とは、現状を否定し、新しいことへのチャレンジから始まる」という当たり前のことを再認識する必要は大いにあると思う。
詰まるところ…、新人を指導する、人を指導するまえに、私たち社会人の先輩と呼ばれる側の人間が、指導できる準備を持たずして、人の育成などは成しえないことだと思う。
新人や部下が、先輩や上司を見て、「ああはなりたくない」。そう思われないような、心構えが私たちにも必要なことは間違いない。…私も頑張ります!
井若 浩
カテゴリー: 経営相談