4月 7th, 2010
ある時、和子さんが空襲から逃れ防空壕で身を潜め、米空軍が飛び去った後、外に出た。眼の前に軍服を着た青年が立っている。自分の身が危機に晒されているとき、何とも心強いではないか。驚くべきは、その青年が自分の兄だったことである。偶然と呼ぶには意味が軽すぎる。なぜなら彼は、世界一と称された「戦艦大和」に乗艦しているはずなのだから。
そのときは、たまたま年に一度あるかないかの非番であったらしいのだが、それにしても頼るものの無い彼女たち姉妹にとっては、神様の贈り物のように思えたことだろう。
何とも、不思議なことだと…、今も彼女は不思議がっている。
その本人こそ、戦艦大和の生き残りである、細谷太郎氏である。
一家にたった一人しか居ない男性。勿論長男。彼女の両親も、また姉妹も頼るべきはこの長男、太郎氏しか居なかったはずである。
太郎氏19歳、志願兵として兵役。家族の思い…察するに余りある。
歴史の証言から学ぶべきこと(4)へ続く・・・
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4月 5th, 2010
昭和2年、京都室町に生れる。一男三女の四人兄妹。その次女が和子さん。育ったのは、嵐山。今もその家は現存し、住んでおられる人も居るようだ。近所には、その姓がそのまま名称となった「細谷橋」という橋が残っている。
戦時中、大阪で過した和子さんたち姉妹は、米軍の空襲の中、耳を疑うような幸運の連続で生き延びた。
眼の前に焼夷弾が突き刺さり、一面焼け野原。自分の家も一瞬で無くなる。空襲警報が鳴り防空壕へ逃げる。逃げ遅れて防空壕へ辿り着けない。その防空壕へ爆弾が直撃。
火を追い、火に追われる日々。さっきまで話していた隣の人の死。住む場所の焼失…。
今の時代しか知らず生きている私たちでは想像できない。この苦しみの中で、この時代を生きた人達は、何を目標に、何を喜びとして生きたのだろうか?そして、どんな思いで亡くなっていったのだろうか?
よく先人たちが、「命あるだけで幸せ」と言う。私のように小心な人間は、いろいろと考えてしまい、本当にそうなのだろうかと思う。しかし、当時の人達の環境に思いを及ぼす時、紛れも無い本心であると知った。
今日命があることを喜び、明日の命に不安を抱く連続の中で、途轍もない精神力と生命力を養ったのであろうと思う。だからこそ、命あれば何でもできるという強さが、先の言葉になったのであろうと思う。
今の世の中に、生命の危険を身近に感じることなど無いに等しい。その辺の精神力の強さが、明らかに現代と違う。
会社経営に置き換えてみるとき、「今日駄目でも明日何とかなればいい」と日々過ごす経営者より、「今日しかない。今日を越えれば明日がある。」と日々考える経営者の方が強い。厳しさの中で学ぶべきものが、この戦争の話しにはあるような気がする。
達観した考え方と言える。
歴史の証言から学ぶべきこと(3)へ続く・・・
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4月 2nd, 2010
歴史にみる日本人の生き様から、今、何を学ぶか。
戦艦大和生存者の手記、その家族の思い…映画じゃない、生の話!
私の感動を伝えたい。
私の尊敬する方の中に、昭和2年生まれの素敵なおばあちゃんがいる。今現在も、矍鑠としており、元気そのものである。お酒も嗜み、カラオケも楽しむ、上品なご婦人である。そして、とてもチャーミングな女性である。チャーミングという言葉がこの人ほどしっくりくる人に出会ったことが無い。自らの手料理は絶品で、その辺の料理屋などお呼びじゃない。縁あって、私はよくご馳走になっている。随分わがままで、自分勝手な言い方をすると、私の大切な人達を、その宴席に招待したいくらい心に染みる料理の数々…、最高の接待になると思う。
和子さんと言う、このおばあちゃん。私はいつも、「おばあちゃん おばあちゃん」と甘えさせてもらっている
この和子さんの人生、今の戦争を知らない私たち世代には、想像の域を超えた経験の数々である。誰しも、昔の思い出話の一つや二つはある。酒の席ではよくある話しだ。ただ、この和子さんの話は、歴史の証言である。脚色の無いノンフィクションがここにある。
この和子さんの人生、そして、和子さんの兄である、数少ない戦艦大和の生存者である 今は亡き、細谷太郎氏の話を、少し紹介したいと思う。
歴史の証言から学ぶべきこと(2)へ続く・・・
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