歴史の証言から学ぶべきこと(2)
4月 5th, 2010
昭和2年、京都室町に生れる。一男三女の四人兄妹。その次女が和子さん。育ったのは、嵐山。今もその家は現存し、住んでおられる人も居るようだ。近所には、その姓がそのまま名称となった「細谷橋」という橋が残っている。
戦時中、大阪で過した和子さんたち姉妹は、米軍の空襲の中、耳を疑うような幸運の連続で生き延びた。
眼の前に焼夷弾が突き刺さり、一面焼け野原。自分の家も一瞬で無くなる。空襲警報が鳴り防空壕へ逃げる。逃げ遅れて防空壕へ辿り着けない。その防空壕へ爆弾が直撃。
火を追い、火に追われる日々。さっきまで話していた隣の人の死。住む場所の焼失…。
今の時代しか知らず生きている私たちでは想像できない。この苦しみの中で、この時代を生きた人達は、何を目標に、何を喜びとして生きたのだろうか?そして、どんな思いで亡くなっていったのだろうか?
よく先人たちが、「命あるだけで幸せ」と言う。私のように小心な人間は、いろいろと考えてしまい、本当にそうなのだろうかと思う。しかし、当時の人達の環境に思いを及ぼす時、紛れも無い本心であると知った。
今日命があることを喜び、明日の命に不安を抱く連続の中で、途轍もない精神力と生命力を養ったのであろうと思う。だからこそ、命あれば何でもできるという強さが、先の言葉になったのであろうと思う。
今の世の中に、生命の危険を身近に感じることなど無いに等しい。その辺の精神力の強さが、明らかに現代と違う。
会社経営に置き換えてみるとき、「今日駄目でも明日何とかなればいい」と日々過ごす経営者より、「今日しかない。今日を越えれば明日がある。」と日々考える経営者の方が強い。厳しさの中で学ぶべきものが、この戦争の話しにはあるような気がする。
達観した考え方と言える。
歴史の証言から学ぶべきこと(3)へ続く・・・